役仁立三の社会観察

社会経済観察日記

「よくあることよ」とマリー・アントワネット

今日は京都市内を移動中、「喫茶&洋食 日替わり定食の店」という看板を見つけて行き過ぎた道を戻ってランチにお世話になりました。

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葛野大路四条の細い路の奥

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九百五十円也

食べたのはポークの照り焼き&コロッケ定食。

昭和の雰囲気を残す広い店内。

 

店の名前が看板と割り箸の袋で異なるのはご愛嬌。

 

マリーアントアネットはギロチンで処刑になったフランスの王妃の名前。

 

Wikiより引用)

処刑の前日、アントワネットはルイ16世の妹エリザベート宛ての遺書を書き残している。内容は「犯罪者にとって死刑は恥ずべきものだが、無実の罪で断頭台に送られるなら恥ずべきものではない」というものであった[3]。この遺書は看守から後に革命の独裁者となるロベスピエールに渡され、ロベスピエールはこれを自室の書類入れに眠らせてしまう。遺書は革命後に再び発見され、革命下を唯一生き延びた第一子のマリー・テレーズがこの文章を読むのは1816年まで待たなければならなかった。

ギロチン処刑[編集]

 
王妃マリー・アントワネットのギロチン処刑

遺書を書き終えた彼女は、朝食についての希望を部屋係から聞かれると「何もいりません。全て終わりました」と述べたと言われ、そして白衣に白い帽子を身に着けた。斬首日当日、マリー・アントワネットは特別な囚人として肥桶の荷車でギロチンへと引き立てられて行った。コンシェルジュリーを出たときから、髪を短く刈り取られ両手を後ろ手に縛られていた。19世紀スコットランドの歴史家アーチボルド・アリソンの著した『1789年のフランス革命勃発からブルボン王朝復古までのヨーロッパ史』などによれば、その最期の言葉は、死刑執行人シャルル=アンリ・サンソンの足を踏んでしまった際に発した「お赦しくださいね、ムッシュウ。わざとではありませんのよ。Pardonnez-moi, monsieur. Je ne l'ai pas fait exprès [4]だとされている。

通常はギロチンで処刑の際に顔を下に向けるが、マリー・アントワネットの時には顔をわざと上に向け、上から刃が落ちてくるのが見えるようにされたという噂が当時流れたとの説もある。

 

12時15分、ギロチンが下ろされ刑が執行された。処刑された彼女を見て群衆は「共和国万歳!」と叫び続けたという。

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フランスは死刑反対の国だけれど、過去にはこんなこともしてたんですね。

しかし、その後、自分のことが極東の島国にたどり着き、定食屋の名前になるとは想像しただろうか。

もし、 マリー・アントワネットにこの話をしたら、「よくあることよ」と笑うのではないか。